大阪のメインストリート・御堂筋。秋にはイチョウが色づき観光名所にもなります

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“筋”は南北、“通り”は東西。どうしてそうなった?大阪の道や地図にまつわる3つの雑学

どーも、マナブです。まいど!やで。
昔から「御堂筋や堺筋みたいに、大阪の道には“筋”があるけど、通りと何が違うの?」なんて聞かれることが多い。
その度に「南北の道は“筋”で、東西は“通り”なんや」と答えるんやけど、そうなった理由は大阪人でも知らない人が多いんよ。
というわけで、今日は地図にまつわる大阪雑学を紹介しちゃいます!

[目次]

■大阪の“筋”と“通り”。違いは方角だけじゃなかった!

あらためて“筋”と“通り”について整理しよう。

南北の道は筋、東西は通がつく大阪の道

(C)OpenStreetMap contributors

冒頭で書いた通り、大阪には“筋”が使われている道がある。
御堂筋、堺筋、四ツ橋筋、天神橋筋、なにわ筋、心斎橋筋、あみだ池筋、丼池筋(どぶいけすじ)、松屋町筋、今里筋などなど。
これらに共通しているのは南北に走っていること。そして“通り”は本町通や千日前通、長堀通など東西の道に使われている。
じゃあ、どうしてこうなったのだろう

大坂の町は東西に開発され、メーンストリートも“通り”だった

それじゃあ、なぜ“通り”が東西で、“筋”が南北なのか。
調べてみると、大阪の街並みの基礎をつくった、豊臣秀吉の時代にさかのぼりる。

豊臣秀吉はが整備した大坂城と町の位置関係。城の西側が城下町でした

(C)OpenStreetMap contributors

大坂城を築城した豊臣秀吉は、周辺の区画整理も実施。その際、城下町は大阪城の西側に配置した。
つまり秀吉は大坂城から西側の城下町へ開発していったため、街の大通りは東西の“通り”だった。現在は南北の“筋”が大阪のメーンストリートの様相だけど、元々はまったく逆だっやんやね。

大阪城から市内を東西に走る本町通

その後、東西の通りと交差する南北の道も整備されていく。
ただし、南北の道は東西のそれよりも道が狭かったらしい。
今は幅44メートルもある御堂筋も、元々は幅6メートルの狭い路地の1つだったんやね。

筋とは目的地に向かう道

さてさて、これらの南北の道は、目的地へ向かうものとして“筋”と呼ばれるようになる。
もしかしたら「道筋」が由来かもしれへんね。
と、ここまで書けばもう分かったかな?

堺筋とは「堺に向かう道」であり、松屋町筋は「松屋町に向かう道」のことなんやね。
四ツ橋筋や心斎橋筋はかつて長堀川に架かっていた四ツ橋・心斎橋へ行く道だった。
御堂筋は浄土真宗の北御堂と南御堂を結ぶ道。1926年に拡幅工事が行われ、今に続く大阪のメインストリートになったんや。

大阪メトロ本町駅の北側に位置する北御堂
北御堂・本堂の画像

これは北御堂。本願寺津村別院が正式名称。

難波別院の本堂。通称・南御堂と呼ばれています

こちらは南御堂。難波別院と言います。

ちなみに、北御堂と南御堂の距離はたったの500mしかなく、御堂筋も距離にして約1.3kmしかない道だった。その当時、北御堂の以北は淀屋橋筋と呼ばれていたんやって。

碁盤の目は京都だけじゃない。筋と通りが交差する大阪の地図

縦横の通りが綺麗に並ぶ街といえば、京都を思い浮かべる人が多いよね。
でも、大阪の地図を見るとこんな場所がある。

(C)OpenStreetMap contributors

規則正しい碁盤の形でしょ?
よく考えたら、平城京も平安京も中国の都を参考にして造られているから同じような碁盤の目で町割りされているし、そういう街づくりが全国に広がったとすれば、縦横に道が整備されるのは珍しいことじゃないのかも。
つまり、その形状が比較的多く残っているから京都のイメージがあるだけで、京都の専売特許じゃないってことかな。

大阪では土佐堀川の南側から道頓堀川にかけてが、きれいな碁盤の目になっているんや。
エリアでいうと淀屋橋・北浜から本町、心斎橋あたりだよ。

■人気の心斎橋と道頓堀。実は人の名前が由来でした

たくさんの観光客で賑わう心斎橋と道頓堀。
「心斎橋で買い物してく?」「道頓堀で美味しいもんでも食べよっか」などと言っている関西人も多いけど、心斎橋と道頓堀が人の名前が由来と知ってる?
ボーっと生きてない??

心斎橋は岡田心斎が架けた橋

江戸時代の大坂は水運が栄え、街には多くの堀川が造られた。
その1つが長堀で、岡田心斎たち町人が力を合わせて開削したんや。そして岡田心斎は私財を投じて橋を架け、その橋はいつしか心斎橋と呼ばれるようになった。

都市計画に伴って長堀は埋め立てられ、心斎橋もなくなってしまった。

心斎橋筋商店街を結ぶ心斎橋。現在は橋はなくなっています

ただし、かつて心斎橋があった場所へ行くと、明治時代に架け替えられた石造り橋の面影を残す欄干や、復元されたガス灯を見ることができる。

クリスタ長堀の上にある心斎橋。道路ですが橋の名残が残っています

横から見ると橋らしさがよく分かるでしょ?
普通に歩いていたら気づきにくいけど、心斎橋には今も橋だったころの面影がちゃんと残ってるんや。
みんなも来ることがあったら見てみて!

道頓堀は安居道頓が開削した堀川

ミナミの中心地と言われる道頓堀。その歴史は1615年に完成した堀川です。
この川は安井道頓(成安道頓という説もあり)が中心となって造り始めたんやけど、なんと道頓自身は大坂の陣で戦死…。堀川は彼の意志を継いだ人々が完成させたんよ。

江戸時代に造られた道頓堀は、大阪で最も賑やかな地域へと成長しました

完成した堀川は「南堀川」と呼ばれていたんやけど、大坂城主の松平忠明が道頓の功績を称え「道頓堀川」と命名。今に至るというわけ。

■大阪城の周りは一丁目だらけって本当?

これは本当。
実は大阪城から近い順に1丁目、2丁目、3丁目と並んでいるんや。

例えばOsaka Metroの駅名にも使われている「谷町」。

大阪城の西側にある谷町の地図。城に近い北から1丁目がはじまります

(C)OpenStreetMap contributors

大坂城に近い北側から並んでいるでしょ?

天神橋筋を見てみると、こんな感じ。

大阪城と天神橋筋の地図。城に近い南側が一丁目になっています

(C)OpenStreetMap contributors

谷町とは逆に南側が1丁目。そこから7丁目まで続く商店街は、全長2.6kmもある日本一長い天神橋筋商店街。

というわけで、大阪城の周辺を見てみるとこんな感じになってしまうんや。

大阪城の周辺を地図で見ると1丁目だらけ

(C)OpenStreetMap contributors

周りは1丁目だらけでしょ!
それじゃあ、現在ここには何があるのか。気になったので調べてみた。

森之宮中央一丁目の標識

大阪城の南東にある森之宮中央一丁目。奥に大阪環状線が見えるでしょ。

法円坂一丁目の標識
法円坂一丁目には難波宮跡があります

大阪城の南西に位置する法円坂一丁目には、難波宮跡があるよ。

大手前一丁目にある大阪合同庁舎第一号館

こちらは大阪城の北西にある大手前一丁目。
現在は大阪合同庁舎第一号館が建っているけど、かつては東町奉行所があったんやって。

さらにこんな地図も見つけた。

大阪メトロ・谷町四丁目駅出口にある地図

石町、島町、釣鐘町、船越町、内平野町、内淡路町、大手通、糸屋町、南新町、徳井町、内本町といった町名は、大阪城に近い東側はすべて一丁目になってるの見えるかなー?

というわけで、もしあなたが大阪市内にいて、現在地から大阪城の方角が分かれば、目的の町に行けるかもしれない!なので、迷ったら天守閣を探せ!!

大阪城天守閣。ビルが増えた現代では遠方からその姿は見えない

見えるわけないって?
そりゃそうか💦

というわけで、大阪の道や地図にまつわる3つの雑学でした。
あっ、そういえば今の大阪城って豊臣秀吉が造ったものが1つも見えない状態になってるって知ってる?
でも、秀吉時代の建造物がたった1つだけ残ってるんよ。
気になった人はこちらの記事も見てね。

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