Osaka Bob FAMILY
大阪人こそ知るべき!茶道やお茶・千利休のアレコレ!
日本文化といえば茶道。海外ではそうイメージする人って多いねん。
ボクの生まれたアメリカでも「最も日本を感じる文化だね」なんて話す人がたくさんいる。
でも、日本人でもお茶や茶道について詳しく知っている人は少ないらしいね。
なので、今日は日本のお茶について調べてみたよ!
[目次]
■茶道って難しい?どんなことをするの?
伝統的な礼式が窮屈なイメージがする、手順やルールが覚えらない気がする、お点前って堅苦しくない?…。
一般的な感覚からすれば、茶道を難しいと感じる人が多いのかもしれへんね。
でも、難しい言葉を覚える時、その意味を知れば理解しやすいように、茶道の流れや作法もなぜそうするのかという意味が分かれば納得できるんと違うかな?
例えば
・なんで茶碗を回して飲むの?
茶碗には正面がある。絵が描かれている部分ね(絵がない茶碗にも正面がある)。
お客さんの前に差し出された茶碗は正面を向いている。
いきなり正面に口をつけるのは失礼なので「正面を外す」ために回す。相手に敬意を払っているんやね。
「でも、絵を見ながら飲みたいねん!」という人。
茶道ではお茶を飲んだ後に、茶碗を拝見する時間があるから大丈夫!だから飲む時は飲むことに集中すればええんよ!
・ものすごく低姿勢で茶碗を見てるけど…
お茶をいただいた後の、茶碗を拝見する時のシーンやね。
なんで低姿勢かと言うと、持ち上げるのはNGやから。
なぜか。
「落としたら大変やん!!!!」
・時計やアクセサリーは外した方がいいの?
亭主はお客さんをもてなすために、庭を整えたり、季節に合った掛け軸や茶菓子、茶道具を選んでいる。
そんな心づくしに、もしアクセサリーが茶器に当たって傷つけたら大変!
それに、お点前してもらってるとき、腕時計ばっかりを見てたら、せっかくこの瞬間を楽しい時間にしようと心を尽くして準備した亭主に失礼やん。
だから、茶室に入る時は時計やアクセサリーは外そうね。
茶道には表千家や裏千家、武者小路千家をはじめとする流派があって、それぞれ作法が違ったりする部分もあるけど、大切なのは「気遣い」「心遣い」。
相手に感謝し、失礼のないようにしつつ、たった一度だけのこの時間を楽しむ。
その心が根底にあることを知れば、堅苦しいーってイメージも変わらへん?
■茶道っていつからあるの?
千利休さんが完成させた!ってことは皆知ってるよね!
でも、いくら千利休さんがすごい人やからって、いきなり何もないところから全てを作り上げたわけじゃないんよ。
そもそもお茶って中国が原産なんやけど、日本に持ち帰ったのは行基さんとか最澄さんとか言われている。
行基さんは民衆に仏教を広めた僧侶で、最澄さんは比叡山延暦寺を建立した天台宗の開祖。日本のお茶の歴史…。いきなりビッグネームが登場や💦
鎌倉時代になると栄西さんが、これまた中国からお茶の製造法や利用法を持ち帰る。
栄西さんといえば、鎌倉の三代将軍・源実朝が二日酔いで苦しんでいる時にお茶を飲ませてあげたといエピソードが残ってる。
「まじ?二日酔いが直った!お茶すげー」と将軍が言ったかどうかは分からないけど、二日酔いは直ったらしい。
そんな栄西さんはお茶の効用を記した書物「喫茶養生記」なるものを書いていて、お茶の世界では超有名な人なんや!
ちなみに、この頃のお茶は飲み物というよりも漢方薬という認識で、高貴な身分の人しか飲めへんかったんやって(だから将軍も二日酔いで飲んだのね)。
さらに時代が進んで室町時代になると、中国から輸入される唐物を使った茶の湯が誕生。茶の産地を飲み当てる闘茶も行われるようになった。
しかし、そんな豪華な唐物を使った茶の湯に対し、「いやー唐物を使った賑やかな宴会もええけど、国産の工芸品を使った日本風なやつやらへん?」と考えた人が登場する。その名は村田珠光さん。小さな茶室の落ち着いた雰囲気の中、「わび・さび」といった精神を大切にした様式を生み出すねん。
その侘茶を武野紹鴎さんという人がさらに発展させていき、ついに出てくるのが千利休さんってわけ。千利休さんまでに結構な道のりがあったってことやねん。
■千利休のこと知ってる?
歴史に興味がある人なら、織田信長や豊臣秀吉に仕えた茶人だったことも知ってるよね。
この千利休さんのプロフィールを改めて書くとこんな感じ。
【生年】1522年
【出身】堺
【本名】田中与四郎
【身長】180cmあったとかなかったとか
【実家】堺の魚問屋「ととや」
あえて彼のエピソード的な部分は外して書いてみたんやけど、どう思った?
「田中さんやったんや…」とか「背高いな💦」って思った?「実家は魚屋さん!」と驚いた人もいる?
ちなみに魚問屋というのは今でいう倉庫業。当時の堺は日本屈指の国際都市で、実家はかなり裕福な家やったんや。家業を継ぐために品位や教養を身に着けるため、武野紹鴎さんに弟子入りしたのが茶の湯を始めたきっかけなんやって。
千利休さんは専門の職人に茶の湯専用の道具を作らせたり、見た目の美しさだけではなく「心で見る美しさ」を楽しむ、すなわち「わび」の思想を確立させたり、さらには作法を定めることで一生に一度だけの機会(一期一会)に重みもを持たせたり…。日本の文芸、工芸、美術、宗教、料理、民俗といったさまざまな文化と融合させて、茶道を完成させたんや。
それらのエピソードを書いてたら、この投稿を誰も読まなくなるくらいの話が出てくる人で、まさに茶人の中の茶人。キングオブ茶人って感じのすごい人なんよ。
■世界と日本のお茶事情
江戸時代以降も千利休さんが大成させた茶道は、表千家や裏千家などの流派が継承していった。一方、日本茶にも新しい種類が登場していくねん。
その代表格が今でもポピュラーなお茶として飲まれている煎茶や、渋みが少ない玉露。
みんなも親しみあるのと違うかな。
さて、ここで視点を変えて見よう。
日本のお茶の共通点って何やろう?それは大雑把かもしれへんけど、渋み、苦みがあることじゃないかな?
でもね、海外のお茶事情はちょっと違うねん。
日本と同じように中国からお茶が伝わったアジア諸国を見てみると、例えばベトナムは砂糖をたっぷり入れて飲むのが一般的。インドのチャイは甘くて濃いし、タイでも甘みが強いお茶が当たり前。
マナブが台湾に旅行したときなんて、コンビニで買ったペットボトルのお茶を飲んで「何で甘いねーーーん」って叫んだみたいよ。
西洋の紅茶なんてミルクやレモン入れるし、お茶といってもところ変わればやね。
とこんな感じで、今回は茶道や日本茶について紹介しました。
最後にお茶の生産地について。
お茶を育てるには、年間の平均気温が14~16度くらい、年間の降水量は1500mmくらいなどの条件を満たしている場所がいいんやって。関西では宇治茶というブランドが有名(というか日本で最も知られているブランドかも)やけど、それも元々はお茶の生産に適した場所だったことから始まっていて、たくさんの先人が改良に努めてきた結果、今に至るというわけ。
写真は京都府の和束町。ここで宇治茶の4割弱を生産しているやって。
美味しいお茶を生み出す段々の茶畑。この風景もなんかいいよね!
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