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大阪・梅田の「歯神社」。実は水害を後世に伝え、災厄から私たちを守るすごいご利益の神社だった!
梅田の阪急百貨店から、ヘップファイブの赤い観覧車を南に見上げながらJRガード沿いを東へ歩いて3分。ガード下をくぐると、少し広まった路地の右に、朱塗りの鳥居と板塀が目立つ「歯神社」がある。
■名称通り、一見すると歯のご利益がある神社だが…
正式名称は「綱敷天神社 末社 歯神社」。小さな本殿の右隣に、JRの高架より高くそびえる御神木があり、敷地は4畳半の広さもないくらいか。もちろん無人。
本殿前に飴色の丸石「なで石」があり、紙垂(しで)が下がったしめ縄が付いている。
神社の名の通り、参拝してこれをなでると歯の痛みが和らぐとされる。早速なでてみるが、向かいにあるスターバックスのお客さんからの視線が少し気になる。
毎年6月4日の虫歯予防デーには、例祭として歯ブラシ感謝祭も開かれるという。
■元々は歯の神様じゃなかった?
でも、なぜここに歯の神様ができたのだろう、と不思議に思った。
しかしすぐに、奥深さを思い知らされることになる。由緒看板を見ると「淀川の決壊をこの付近で歯止めされたことから『歯神社』として崇拝された」と書かれている。
歯は、単なる「歯」の意味ではなく、「歯止め」の意味が原点だった。
中世の昔は、どこにでもあるような農耕神のお稲荷さんだった。
しかし、江戸中期に淀川が何度も氾濫して梅田一帯が大洪水に見舞われ、この地も水没するかにみえた折、お稲荷さんの御神体である巨石が、流れ来る水に歯止めをかけ、付近の水没を防いだらしい。
「洪水をせき止め、災害に歯止めをかけた」その力と頼もしさが庶民の信仰を集めたのだった。
巨石は今、本殿の地中深くにあり、「なで石」はこの巨石のかけらだと伝えられている。
歯痛に効く、となったのはその後のことで、語呂が転じたからだった。「人の祈り」には歯止めがない。
交通の要衝・梅田にあったため、“裏芸”の「歯痛止め」が広く知られるようになり、「歯の神様」となる。しかし“本芸”は、災害災厄の盾となる「歯止め」だったのだ。
明治初めに「ちゃんとした神社としてお祀(まつ)りしよう」という機運が盛り上がり、梅田かいわいの氏神「綱敷天神社」の「境外末社」(境内の外にある末社)になった。
では、本来の由来と関係する「江戸中期の淀川の氾濫」「数百年前の梅田一帯の大洪水」とは、いつのことなのか? 国土交通省淀川河川事務所のホームページや大阪市の資料を調べてみた。
■災害災厄の「歯止め」の由来となった淀川の決壊について調べてみた
淀川は、台風や豪雨で氾濫し、水害を引き起こしてきた。4世紀に仁徳天皇が堤防「茨田堤(まんだのつつみ)」を作ったことは古事記や日本書紀にも記されている。
中世の治水事業では、豊臣秀吉が「太閤堤」で淀川上流の宇治川と巨椋池を切り離し、淀川左岸に「文禄堤」を築いたことが有名だ。
江戸期以降の大水害は、堤防が切れた場所の地名から、1674(延宝2)年「仁和寺切れ」▽1735(享保20)年「三矢切れ」▽1802(享和2)年「点野(しめの)切れ」▽1885(明治18)年「伊加賀切れ(明治大洪水)」▽1917(大正6)年「大塚切れ」――などが、文献に残されている。
中でも最大の水害は、1802年7月1日、台風による豪雨で現在の寝屋川市点野の堤防が決壊した「点野切れ」とされ、現在の門真市、大阪市東部、大東市、東大阪市までの広い範囲の低地が77日間浸水したという記録がある。
神社の由来となった巨石の「歯止め」があった水害は、江戸中期ということからは1735(享保20)年「三矢切れ」の可能性が高い。しかし明治に入ってお祀りの機運が高まったことを考えると、被害が大きかった幕末の「点野切れ」だった可能性もあると思う。
津波や高潮が来たことを後世に伝える石碑はたくさんある。この歯神社も「淀川が決壊してここまで浸水した」ということを記録し、警鐘を鳴らし、都心の防災意識を高めようという意味があったのではないか。
「大阪市が豪雨で浸水することはない」と思い込んでいるとしたら、それは思い込みにしか過ぎない。大阪は上町台地を除いて低地のため、排水ポンプが稼働しなければ浸水を防げない。
▲上町大地の西側にある天王寺七坂のひとつ源聖寺坂。大地の高低差が分かる。
大阪市は現在「10年に一度の1時間60㍉の激しい雨」に対応することを目標に排水施設を整備途中だが、近年60㍉の雨は珍しくなくなってきている。またハザードマップでは、淀川の決壊も当然想定されている。
■梅田のど真ん中で防災を誓い、祈る
歯神社の御利益は「歯痛鎮静」「健歯護持」「歯業成就」「歯止祈願」。
前の三つも大事だが、四つめの「歯止祈願」が本来の存在感なのだ。
「事態が悪化するのを食い止める」「災厄の接近から守る」――。「家内安全」や「厄除け」と似ているかもしれないが、「最前線に立って対策をとる」「危機に対峙する」というニュアンスが「歯止め」にはある。
そして、この珍しい御神徳の一方で、梅田のど真ん中にあって、水害の記憶と歴史を刻み、災害に備えることの大切さを、後世の人に伝えている、と改めて思う。歯の神様のようでいて実は、災害災厄からの防災を誓い、祈る神社だったのだ。
歯神社のお守り「歯神守」やお札は、阪急梅田駅の茶屋町口を東に出たところにある「綱敷天神社 御旅社」で購入できる。
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